曹操の台頭の一因として、「天子の擁立」があります。
天子を擁立したことで、漢臣の支持を得て、
優秀な文官をあつめることに成功しています。
これを進言したのが儒者 荀彧(じゅんいく)でした。
以後、曹操はいくさの大義名分を手に入れ、他の群雄たちと一線を画することとなる。魏が三国最大の強国となりえたのも、源をたどればここへ行き着くから、荀彧(じゅんいく)の功は計り知れないほど大きいとおもわれます。
漢臣の多くが、いわゆる儒者といわれる人たちです。
儒教の教えを基本理念とする人物が多かったようです。
儒教を理解することは、奸雄 曹操の非道性を理解する上で、
理解が不可欠と思われます。
個人的には、儒者と奸雄 曹操の対立が見どころの一つですので、
儒教についてまとめてみました。
儒教って何?
儒家の始祖 孔子は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。
氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。
ちなみに、三国志に登場する、北海の太守 孔融(字は文挙)は、孔子より20世の孫とされています。
孔子の死後約四百年かけて孔子の教えをまとめ、弟子達が編纂したのが『論語』である。
三国志の時代には、論語は成立していないと思われますが、思想・概念はすでに確立していたと思われます。
主な教義として、堯・舜、文武周公の古の聖賢の政治を理想として、家族や君臣の秩序を守ることなどが挙げられる。
孔子やその弟子たちは儒家と呼ばれ、「諸子百家」の一つに数えられる。
また、儒教を自らの行為規範にしようと、儒教を学んだり、研究したりする人のことを儒学者、儒者、儒生などと呼びます。
三国志では、「儒者」と呼ぶことが多いようです。
曹操が、「腐れ儒者!」とか罵る場面も出てきたりします。
唐の時代に仏教の教えが台頭するまでは、儒教が人々のモラル・行動規範として絶大な影響力をもった教えであることは、間違いないと思います。
儒教における最重要な「五常の徳」
- いわゆる、「仁義礼智人」です。これは、聞いたことがあるのでは?
- この他にも、忠、孝、悌という教えもあり。
- 8つ揃うと、八犬伝に出てくるやつです。
- 孔子の教えの中で、重要とされているものです。
- 仁
- 人を思いやる事。孔子は仁を最高の徳目としていた。孔子は君子は仁者であるべきと説いた。
- 義
- 利欲に囚われず、すべきことをすること。
- 礼
- 仁を具体的な行動として、表したもの。のちに、人間の上下関係で守るべきことを意味するようになった。
- 智
- ただ学問に励むだけでなく道徳的認識判断力であることともされている。智は『論語』では知と表記され意味としては聡明、明智などの意味がある。
- 信
- 言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。
- 孔子は君子は仁者であるべきと説いた。
- 「君子たるもの、徳をそなえなければいけない。」というわけです。
- それを地で行くのが、劉備玄徳です。
- 逆に、それに反して実利を追求するのが、曹操孟徳という構図。
- 勧善懲悪のパターンですね。
荀彧の苦悩
理想的ともいえる参謀と君主の関係をたもってきた荀彧(じゅんいく)と曹操だが、破局がおとずれます。曹操の位をすすめ、「魏公」とするうごきが起こったのである。
このとき猛然と異をとなえたのが荀彧(じゅんいく)で、これをきっかけにして関係が悪化したのは明白です。天下をのぞむ曹操の野心に気づきつつも、いよいよその時が近づくのを目の当たりにし、漢臣として、儒者としてやり場のない気持ちになったに違いありません。
その後、空の重箱を賜り、荀彧(じゅんいく)は服毒自殺することとなります。
翌年、曹操は魏公となり、さらにその3年後には魏王の位につくことになります。
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